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北海道の名付け親は松浦武四郎!北海道の名前の由来は何?

更新日:

「北海道」という名を命名した人物は誰か。

 

この質問に答えられるでしょうか。

 

北海道の名づけ親は松浦武四郎という人物です。

 

彼は蝦夷地探検に情熱を注ぎ、アイヌの人々との親交を深めました。

 

彼の人生をたどることで、何が得られるのでしょうか。

 

今回は、松浦武四郎とはどのような人物なのかたどりながら、北海道を見て行きましょう。

目次

北海道の名付け親は松浦武四郎!北海道の名前の由来は何?

北海道の画像

松浦武四郎という人物を知っている人はほとんどいないのではないでしょうか。

 

この人物は「北海道はなぜ県ではなく道なのか?松浦武四郎が北海道の名付け親」の記事でもご紹介したように、今の北海道の地名は彼が考案しました。

 

彼は一体どのような人物で、どんな生涯を送ったのでしょうか。

 

今回は、北海道のバックグラウンドを探るべく、松浦武四郎について探っていきましょう。

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<松浦武四郎の生涯>

青空と住宅模型と家族の画像

今でこそ私たちは当たり前のように、日本で一番北に位置する土地を「北海道」と呼んでいます。

 

しかし、かつては「蝦夷地」と呼ばれており、「北海道」と称されたのは1869年になってからのことでした。

 

この「北海道」という名前をつけた人物が、松浦武四郎と呼ばれる探検家です。

 

彼は江戸時代の終わりごろから明治時代にかけて活躍した人物。

 

生まれは伊勢国(現在の三重県)で、江戸時代に伊勢神宮に向かう旅人たちが歩いた伊勢神宮街道沿いに住んでいたため、幼い頃から旅を身近に感じ、強い憧れを抱いていました。

外宮・光彩の画像

彼の父は庄屋を営み、ある程度恵まれた環境の中で、武四郎は文化的な素養を身につけました。

 

実際に彼は探検家以外にも、浮世絵師・芸術家としての顔も持っていたことからそのような事実がうかがえます。

 

そんな彼は16歳の時に、一通の手紙を残して初めての旅に出、17歳からは全国をめぐるようになります。

 

そして、21歳から26歳までは長崎の平戸で僧侶となりました。

 

しかし、その間に家族が亡くなってしまい、武四郎は孤独になります。

 

これをきっかけに、彼は蝦夷地に渡ることを決意したのです。

花と山の画像

彼が28歳、1845年のことでした。

 

彼は1858年までの13年間の間に合計6回の探査に訪れ、多くの調査報告書を作成し、地図をまとめました。

 

北海道に精通した武四郎は、江戸幕府からの依頼を受け、4回目以降は幕府の命で蝦夷地を調査するようになりました。

本とルーペの画像

この任務を終えたのち、1869年には開拓判官となり、「北海道」を命名しましたが、1870年にはアイヌ民族を搾取していた開拓使を批判して、その職を辞めることになります。

 

彼は、アイヌ民族との親交も深く、調査の間には蝦夷地で暮らす人々の協力を得ながら、寝食を共にする生活を続けていました。

 

このような環境に身を置いていたため、彼はアイヌ文化に敬意を払い、その文化・生活を広めることに尽力するようになりました。

アイヌ文化の画像

このような背景をもっていたため、開拓使によるアイヌ差別から目をそらすことができなかったのですね。

 

しかし、彼のもつ旅への情熱は消えることなく、著述活動を行いながらも全国25の天満宮を巡り、3年間続けて奈良県・三重県の境にあり大台ケ原に登って調査を行い、70歳の時には富士登山を成し遂げるなど、精力的な活動を続けていたのです。

 

彼は71歳のときに脳溢血により死亡しました。

 

まさに、亡くなる直前まで旅に人生を捧げて活動していた人物なのですね。

 

ところで、松浦武四郎は蝦夷地の調査中にアイヌの人々との交流を深めていた、ということについて、気になるのではないでしょうか。

 

彼とアイヌについて知ることで、北海道のバックグラウンドをより一層深く理解することができるかもしれません。

 

次の項目では、アイヌと武四郎との関係を確認してみましょう。

<松浦武四郎とアイヌの出会い>

アイヌの家と鮭の画像

松浦武四郎とアイヌ民族との出会いは、道内各地における調査の過程にありました。

 

内地出身の武四郎にとって、蝦夷地は詳細な地図さえない未知の土地であったため、道内各地に暮らす現地の人々からの情報が欠かせなかったのです。

 

彼は現地の人々との交流を重ねるうちに、内地人とは異なる文化をもちながらも、自分たちには無い優れた知恵・魅力が隠されていることを知ります。

 

その素晴らしい文化に触れた彼は、アイヌ民族に偏見をもっている人々や、アイヌを知らない人々にその文化を伝えるため、多くの紀行文を執筆することに尽力しました。

 

次の項目では彼とアイヌの人々との関わりについて、もう少し詳しく見ていきますね。

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<アイヌ差別を目の当たりにして>

松浦武四郎の画像

松浦武四郎は、蝦夷地でアイヌの人々との交流を重ねる中、差別を目の当たりにするようになります。

 

当時、武四郎はアイヌ民族が次々と漁場に連行され、過酷な労働を強いられていくのを見て、幕府に対してアイヌ民族の命を守るべきだという内容を調査報告書の中で訴えました。

 

さらにはアイヌの文化を守り、紹介することで、多くの人々の理解を得ることを目的として、彼は執筆活動にも力を注ぎます。

 

たとえば、彼の著作である『近世蝦夷人物誌』では、アイヌの人々を実名で登場させ、和人からの不当な扱いにも屈しない勇敢な姿を描き、彼らを活き活きとした姿がそのまま描写されています。

近世蝦夷人物誌の画像

出典元:amazon

この著作は、武四郎が調査の途中で出会ったアイヌの人々から聞いた話をそのまま記したもの。

 

この著作以外にも、アイヌの人々の文化や生活を詳細に、分かりやすく絵で説明した『蝦夷漫画』が存在します。

蝦夷漫画の画像

出典元:amazon

これらの著作が当時の人々にどのような影響を及ぼしたのか、非常に気になりますよね。

 

しかし、残念ながら当時彼が書いた本は、現実を忠実に記録した報告であったため、幕府箱館奉行所からは出版の許可を与えられませんでした。

 

もしも、これらの著作が彼の存命中に出版されていたら、アイヌ民族にたいする人々の意識が変わり、アイヌ文化保護に努める人物が早くから登場していたかもしれません。

 

しかし、彼は著述活動だけではなく、松前藩への批判も頻繁に行っていました。

 

そのため、調査を妨害されたり、命を狙われたりすることもあったそうです。

 

危険を冒してまで、アイヌを守り伝えようとする彼の姿から、彼とアイヌの人々の間に生まれた友情がうかがい知れます。

 

当時内地人にとってアイヌ文化は受け入れがたいものであったにもかかわらず、なぜ松浦武四郎はこのような異文化に柔軟に対応できたのでしょうか。

 

それは、彼が幼いころから三重を訪れる旅人を目の当たりにし、実際に旅に出て各地の文化に触れ、さまざまな考え方を受け入れる基盤ができていたためであると考えられるでしょう。

旅人の画像

ここからも、私たちは違った価値観を受け入れられるためのヒントが得られます。

<北海道という名にこめたアイヌへの想い>

ハート型の雲を手のひらで支える画像

松浦武四郎は、北海道という名をつけた人物。

 

この地名にはどのような思いがこめられているのでしょうか。

 

彼は実際に蝦夷地を探検していたため、実体験にもとづく豊富な知識を持ちあわせており、幕府から開拓判官と呼ばれる役職を与えられました。

 

1869年には、蝦夷地の名称として、彼は「北加伊道」という地名を候補に挙げ、明治新政府へ案を提出しました。

 

彼が提出した上申書には、なぜ「北加伊道」という名称にしたのか、その理由がつづられています。

 

そこでは、「カイ」について言及されており、アイヌの長老からアイヌ民族を指す言葉は「カイ」である、と教えられたことをきっかけに名付けたようです。

アイヌコンタンの画像

北海道という名前には、松浦武四郎のアイヌへの尊敬の念が込められているのですね。

 

ちなみに、武四郎は芸術活動においては「北海道人」という雅号を使っていましたが、「北加伊」という別の漢字を使っていました。

 

「加伊」の2文字は、熱田神宮縁起に登場する「加伊」から取りました。

 

「加伊」というのは、東方に住み、大和政権に従わずに自らを「加伊」と呼んでいた人々のことを指す言葉です。

 

「海」ではなく「加伊」をあてた理由は、「海」の字を使い、「北海道人」という自分の雅号を道名にすることで、彼が開拓判官に任命されたことを妬む人たちからの反発を避けるためであったとも言われています。

 

彼は道内の郡の名称についても考案しており、ここにおいてもアイヌ語に基づいた地名を付けていました。

 

彼による北海道命名の背景には、アイヌの人々から受けた大きな影響があるのですね。

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【まとめ】

松浦武四郎の生涯を追って、皆さんは何に気づいたのでしょうか。

 

自分の憧れに素直に従うこと、そして異なる考え方や生き方を受け入れること、大きくこの2点に気づくのではないでしょうか。

 

当時、内地人にとって未知の世界であった北海道は、この1人の人物によって外に開かれたのです。

 

北海道を旅行したときには、松浦武四郎がこの地でアイヌの人々との親交を深め、調査を行っていたことに想いを馳せてみてくださいね。

 

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また、記事のこの部分が役にたった、ここが意外だったなどのご感想があれば、お気軽にコメントください。

 

皆さんからのコメントをもとに、より一層旅行が楽しくなるような記事を執筆してまいります。

 

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