七夕伝説として日本では織姫と彦星の物語が広く知られています。
この物語は中国が発祥の地ですが、実は中国では別の七夕伝説が主流です。
また日本にも古から言い伝えられる独特の七夕伝説が存在します。
このように、実は七夕伝説として言い伝えられる物語は無数にあるのです。
今回は日本と中国の七夕伝説に注目して物語を比較してみましょう。
目次
日本と中国の七夕伝説を比較!発祥の地はどっち?
七夕はロマンに満ちた年に1度のイベントです。
多くの方が幼い頃、短冊に1つのお願いごとを書いたことを記憶しているのではないでしょうか。
そして日が暮れたら夜空を見上げ、天の川を見上げて織姫と彦星の再会を想像したものです。
日本の七夕伝説というと、多くの方が織姫と彦星のお話しを思い浮かべます。
しかし、実はこの物語、七夕伝説の1つに過ぎないのです。
そこで、今回は有名な織姫と彦星の伝説に加え、それ以外の物語についてもご紹介します。
織姫・彦星の伝説発祥の地である中国で一般的に知られている物語についても見て行きますよ。(実は中国で一般的に知られている七夕伝説は、織姫・彦星の話ではないのです。)
まずは、日本で一般的に知られている七夕伝説を見てみましょう。
<日本で一般的に知られている七夕伝説>
多くの方が知っている七夕伝説は、実は中国が発祥の地となっています。
それは本来、「牛郎織女(ぎゅうろうしゅくじょ)」と呼ばれている物語です。
共に過ごすことで、怠け者になってしまった織姫と彦星は引き離されてしまうけれども、年に1度7月7日にのみ会うことが許されている。
そんな物語として広く知られていますよね。このお話しの全体は次のようになります。
・「牛郎織女(ぎゅうろうしゅくじょ)」
織姫は天の神の自慢の娘でした。
彼女は美しいはたを毎日織り、懸命に働き続けておりました。
ある時、天の神は娘が化粧もせず、一心不乱に働き続けている姿を見て憐み、娘にぴったりの婿を探すようになりました。
そんな時に天の神は、懸命に牛の世話に取り組む真面目な青年・彦星に出会いました。
その勤勉な姿が娘の織姫と重なり、天の神はこの青年こそ娘の婿としてふさわしいと思い、2人を結婚させることに決めました。
天の神が思った通り、勤勉で真面目な2人は本当に仲睦まじく手を取り合って暮らしました。
ただ、そこには大きな問題があったのです。
出会う前には粛々と働いていた織姫と彦星は、共に暮らし始めると毎日遊びほうけるようになりました。
天上界の衣服は不足し、牛は飢えるようになりました。
それを見かねた神は2人に働くようにと声をかけましたが、一つ返事ばかりで全く行動が伴いません。
怠惰な2人の態度にしびれを切らした天の神は、ついに2人の仲を引き裂くことに決めました。
こうして、織姫は天の川の西に、彦星は東に隔てられ、2人は互いの姿を見ることさえ禁じられてしまったのです。
しかし、2人が離れ離れになったことで、さらに問題は大きくなりました。
あまりにも大きな悲しみに直面し、織姫と彦星は涙にくれるばかりで働けなかったのです。
天の国はますます貧しくなりました。
そこで、天の神は1つ策を練りました。
毎日懸命に働けば、毎年1度7月7日には会わせてやる、と。
それからというもの、この約束を胸に織姫と彦星は一生懸命に働くようになりました。
こうして毎年7月7日の夜、2人は天上で再会を果たすようになったのです。
これが誰もが知る、織姫と彦星の物語です。この物語に加えて、1つ興味深いエピソードがあります。
「催涙雨」という言葉を知っているでしょうか。
これは、七夕の日に降る雨のことです。
この「催涙雨」については諸説あるのですが、最も広く知られている言い伝えは、″織姫と彦星が年に一回の一日に会うことができず悲しみにくれる涙だ″というものです。
会えないのは悲しいことですが、私たちはこのようなエピソードを知ることで、七夕の夜に想いを馳せることができるのでしょう。
<日本独特の七夕物語>
一般的に知られている七夕物語は、中国伝来の織姫と彦星の物語ですが、それとは別に日本にも独特の物語が昔から存在していました。
それは「天稚彦(あめわかひこ)物語」と「棚機津女の物語」です。
それでは、この2つの物語は一体どのような内容なのでしょうか。
・天稚彦(あめわかひこ)物語
この物語は平安時代に創作された物語で、「御伽草子」という物語集に収められています。内容は次のようになります。
ある時、一匹の蛇が長者の家にやってきました。
その蛇は長者に向かって、「3姉妹のうち1人と結婚させろ、さもないとお前の命が危ないぞ」と警告します。
3姉妹のうち、勇気ある末娘が父親の命を守るため、蛇の要求を受け入れました。
末娘は川辺の屋敷で蛇が迎えに来るのを待っていましたが、蛇は姿を現した途端に目も覚めるような麗しい男性に変わり、天稚彦だと名乗ったのです。
その後2人は仲睦まじく暮らします。
ある時、天稚彦は「急遽、天に用事があり帰ることになりました。自分が戻らなかったら、探しに来てください。」と娘に告げます。
こうして、天稚彦は天へと帰ってしまいました。
娘は彼を幾日も幾日も待ち続けましたが、とうとう姿を現しません。
ついに天稚彦を探しに、娘は天へと向かうことに決めました。
そしてやっとのことで、天稚彦の居場所を探し出しましたが、そこで娘は天稚彦の父親が鬼であることを知ります。
父親である鬼は、娘を天稚彦の嫁であることを良く思っていませんでした。
そして鬼は娘に、嫁になるために突破しなければならない数々の難題を突き付けます。
しかし、それらの難題を娘は見事にやり遂げました。
こうして鬼はついに彼女を天稚彦の嫁として認めますが、その代わりに条件として月に1度しか互いに会ってはならないと言い渡します。
この時、娘は鬼の言った「月に1度」という言葉を「年に一度」と聞き間違えてしまいました。
狡猾な鬼は、条件を月に1度から年に1度に変更し、娘と天稚彦の間に爪を打ち付けて大水を出し、天の川を作りって2人を隔ててしまいました。
こうして、娘と天稚彦は年に1度、七夕の日に会うようになったのです。
・棚機津女(たなばたつめ)の物語
日本においては棚機津女の物語が古事記の時代から知られていました。
棚機津女は、7月6日から7日にかけて、神を待ちながら水辺の小屋で布を織る巫女のことです。
棚機津女は人の名前ではなく、7月6日に水辺の機屋に入って機を織り、7月7日の夕方までにその織物を仕上げる役目を果たす巫女のことを指しています。
彼女が織った布は神が纏う衣となり、その夜彼女は神の妻・女神となるのです。
この時に、水辺で禊(みそぎ:水で体を洗い清めること)を行うと神は町や村に豊穣をもたらし、災厄を取り去ってくれると言い伝えられています。
<中国で一般的な七夕伝説>
日本で一般的な七夕の物語は、最初にご紹介した中国伝来の「牛郎織女(ぎゅうろうしゅくじょ)」であるということでした。
しかし、中国では日本と異なり、別の物語が一般的な七夕伝説として知られています。
中国で最も知られている七夕伝説は「天河配」という戯曲です。「牛郎織女」とは、まったく違ったストーリー展開になっているので、非常に興味深いものです。それでは、お話の内容を見てみましょう。
・「天河配」
ある時、美しい天女が天上界から地上に降り、水浴びをしていました、
天女が水浴びをする川の近くにいた若者は、長い間連れ添っていた牛の助言により、その天衣を盗みます。
天女の衣を盗むことで天女を天上界へと帰さなかったのです。
天女と若者は結婚し、幸せに暮らしながら2人の子宝に恵まれました。
そのようにしているうちに、天上界では上帝が天女がいつまでも戻って来ないと怒り、天女を連れ戻すよう、地上に兵を遣わしました。
若者は天の使いにより、天女を奪われてしまいました。
そこで牛は「自分は命を絶つから、その皮を使って天に登るように」と若者に告げました。
このようにして、若者は命を絶った牛の皮を羽織って子どもと共に天に向かいます。
しかし、天女に追いつきそうになった途端、川が現れて天女は遠のいて行くばかりです。
何としてでも天女を再び連れ戻したい一心で、若者と子供は柄杓で水をすくい始めるのです。
彼らの健気な姿に心打たれた上帝は、ついに年に1度の再会を許すことにしたのでした。
そしてこの再会の日が、7月7日となったのです。
これが、中国で一般的に知られている七夕伝説なのです。
日本で広く知られている織姫・彦星の曲と全然違うのには、驚愕するばかりですね。
【まとめ】
私たちにとって、七夕物語は織姫と彦星の物語、つまり中国伝来の「牛郎織女」の物語の印象が大きいものです。
したがって、七夕伝説についてここまで多くの物語が存在していることに驚かずにはいられません。
さらに、天の川をめぐる話は日本・中国に限らず、アジア・ヨーロッパにも存在します。
人々は昔から、天やそこに輝く星にロマンを感じ、想いを馳せてこのような物語を創ったのでしょう。
今年の七夕は「催涙雨」が降るのでしょうか。
空模様を気にかけながら、いくつかの七夕の物語を思い出して楽しんでみてくださいね。
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