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琉球王国の歴史を分かりやすく!女子旅を奥深い旅にしましょう!

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旅行では、目に見えるものはもちろん、目に見えないものを見ることに大きな意義があります。

 

特に沖縄は、アジアの中継点に位置しており、あらゆる地域の影響を受けています。

 

そして沖縄の歴史の中でも特に注目したいのが、琉球王国の歴史です。

 

今回は、沖縄の旅を濃いものにするために、琉球王国の歴史について分かりやすくご紹介します。

目次

琉球王国の歴史を分かりやすく!女子旅を奥深い旅にしましょう!

沖縄はもともと日本ではなかった土地です。

 

その証拠として、沖縄旅行に行くと、本土とは異なる文化を目にすることでしょう。

 

沖縄の歴史・文化において一番注目されるのが、琉球王国時代です。

 

この強大な王国は、アジアの中継点として独自の文化・風習を築いてきました。

 

旅行で見る沖縄の背景にはどのような歴史が潜んでいるのでしょうか。

 

今回は、沖縄旅行をもっと中身のあるものにするために、琉球王国の歴史について分かりやすくご紹介します。

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<歴史用語について>

古書の画像

今回は琉球王国の歴史について簡単にご紹介しますが、その際に、ちょっとした歴史用語が出てくるので、理解に困らないようここで確認しておきましょう。

 

歴史用語といっても、今回登場する用語はたった2つだけです。

 

それでは早速確認してみましょう。

 

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◆中央集権

中央集権とは、政治の権力が国家の中央機関に統合されていることです。

 

地方分権と逆の状態を示しており、地方豪族・有力者の力が極めて弱い状態を指します。

 

行政の権限を地方の機関に任せるのではなく、中央が完全に把握することを意味しているのですね。

◆朝貢貿易

朝貢貿易は中国が中華思想に基づき、実践してきた貿易のことです。

 

ここで言う中華思想とは、中国以外の近隣諸国は独立の形を取りながらも、定期的に使者を遣わし、貢物を差し出して忠誠を誓うよう求めることを意味します。

 

つまり、朝貢貿易とは中国の皇帝に向けて周辺諸国の君主が貢物を送り、中国皇帝が君主であることを認めて恩恵を与える形を取るのですね。

 

さて、今回登場する歴史用語について確認できたところで、早速琉球王国の歴史について見て行きましょう。

 

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<建国初期の琉球王国>

歓会門の画像

琉球王国の建国はそもそもいつごろなのでしょうか。

 

沖縄の地は14世紀ごろ、北山・中山・南山の3つの王国で占められていました。

 

この時代は「三山時代」として知られています。

 

北山・中山・南山にはそれぞれ特徴がありましたが、その中でも総合的に強大な力を持っていたのは中山でした。

 

現在の沖縄本島中部を占めていた中山は、特に経済の面において最も発達しており、首里を政治の拠点にしていました。

首里城の画像

これら3つの王国は互いに戦争を繰り返し、侵略し合っていましたが、中山が優勢となり、北山・南山の順に征服を達成し、1429年には三山統一が完了したのです。

 

統一を行なった中山の王は、第一尚氏・尚巴志王。

 

彼は、三山を統一しただけではなく、中国や朝鮮、日本、東南アジア諸国などをはじめとした周辺諸国との海洋貿易を強化し、経済圏の拡充を試みました。

 

さらに、尚巴志王は中国との関わりも強かった人物でもあります。

実際に「尚」という名は1421年に明の皇帝から賜ったものとして知られています。

 

さらに、彼は中国の宮廷を模して首里城を建設し、那覇港を開港しました。

 

また、政治顧問として中国人の懐機(かいき)を重用し、斬新な政治手法を実行して、初期の琉球王国の基盤を作り上げたのです。

 

明との繋がりを重要視することで、明への忠誠と自らの権威の両方を示していたのですね。

 

このように、中山王尚氏により国の基盤を固めていった琉球王国ですが、王の権力基盤は不安定でした。

 

当初、琉球王国内の各地に散在していた地方豪族らの力は大きく、琉球王府に政治の機能を集中させることは困難だったのです。

沖縄の世界遺産の画像

琉球王国6代目の王・尚泰久王の治世に阿麻和利・護佐丸の乱が勃発したことからも、豪族が猛威をふるっていることがうかがえます。

 

琉球王府が中央集権化を達成するのは、15世紀後半になってからのことなのです。

 

政治の機能を完全に琉球王府に集中させることに成功してからは、琉球王を皇帝と同じように扱うなど、自らの権威を揺るぎないものにする試みが行なわれました。

 

そもそも、琉球王国は明と朝貢関係を結んでおり、独立した一国家でありながらも中国への忠誠を誓っていました。

 

しかし、琉球は明との従属関係の論理を適用し、琉球王を中国皇帝のような存在とみなし、自らを朝鮮や日本、他の東南アジア諸国よりも上に立つ国として意識していました。

 

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<黄金期の琉球王国>

首里城の画像

14世紀後半以降から、琉球王の統治は安定し始め、第二尚氏王統の3代国王尚真の時代に最盛期を迎えることになります。

 

彼の治世には、国王が中心となった統治機構の基盤・行政機関が整備されました。

 

その背景には琉球王国が海上交易で得た富があります。

 

琉球王国を説明する際に外せないのが、海上交易の繁栄です。

日本と中国の地図と旗の画像

琉球は地理的にも、日本・中国・朝鮮・東南アジアなどの中継地点であったため、海上交易のハブとして機能していました。

 

ただ、琉球王国が貿易で栄えたとは言われるものの、実際に海上交易を主な理由として繁栄していたのは15世紀∼16世紀の初めです。

 

それほど長い期間ではないのですね。

 

確かに15世紀には中継貿易を通して膨大な利益が琉球にもたらされましたが、16世紀以降は2つの理由で交易が衰退していったのです。

 

1つ目の理由としては、朝貢関係を結んでいた明の国力が低下し、朝貢貿易の規模が小さくなったということと、広州が開港したために、明の商人の活動範囲が朝貢貿易以外にも広がったということが挙げられます。

 

そして2つ目の理由としては、ポルトガルが現インドネシアのジャカルタを征服したことで、西洋列強がアジアに進出するようになり、大航海時代の幕が開けたということが挙げられます。

 

このように、琉球王府の海上交易は、16世紀以降衰退の一途をたどったということですが、王府の最盛期が海上交易の発展とともにあったことは興味深いことですね。

話を交易から元に戻して、琉球王国最盛期、国王尚真の治世について再び見て行きます。

 

彼の時代には、国の統治機構・行政機関が確立したということの他に、八重山諸島や与那国島を征服したこと、刀狩を行なったことなど、軍事的にも王府の地位は揺るぎないものになりました。

 

さらに、この時代には文化面でも大きな発展が見られました。

 

具体的には、弁財天堂・守礼門の造営、琉球最古の歌謡集である「おもろさうし」が王府によって編纂されました。

<日本への従属>

地球の中の日本地図の画像

海上交易が衰退し始め、琉球王国の最盛期も過ぎた16世紀後半、日本の豊富秀吉は朝鮮出兵のため、琉球に戦争への協力を求めました。

 

豊富秀吉は朝鮮を落とした後には明を侵略する計画を立てていたため、明の朝貢国であった琉球王国は彼の要求を拒みました。

 

朝鮮出兵が、日本の琉球侵略の直接的なきっかけになったわけではありませんが、日本への従属的な関わりはこの頃から見られるようになりました。

 

日本の琉球進出が決定的になったのは1609年のことです。

 

この年には薩摩藩・島津氏が兵を率い、琉球王国の領土であった奄美大島に侵入、さらには沖縄本島の首里城にまで兵を進めました。

首里城の画像

もちろん琉球王国も抵抗しましたが、薩摩藩からの攻撃にはあっけなく敗れてしまいました。

 

その後、琉球王国は薩摩藩と明・清の両方に従属するようになります。

 

このように二重の従属関係を持っていた琉球王国ですが、表向きは一つの独立国としての体裁を保ち続け、独自の文化を保っていたのです。

 

やがて、日本にはアメリカのペリー提督が率いる黒船が来航すると同時に、琉球王国にも立ち寄り、ペリーは首里城にて開港を求めました。

黒船の画像

1854年にはアメリカと琉球王国の間に琉米修好条約が結ばれ、結果的に那覇が開港しました。

 

1871人には明治政府が廃藩置県を行ない、鹿児島県のもとに琉球を置きましたが、翌年には琉球藩が設置されることになります。

 

明治政府は廃藩置県に伴い、中国・清への従属関係を終わらせようとしましたが、古くから中国との関係を重視していた琉球藩はこれに対抗しました。

 

そのため、日本からは琉球藩に向けて武力で以って威圧が行なわれ、首里城が開け渡され、沖縄県が設置されたのです。

 

これを琉球処分と呼び、内実ともに琉球王国は滅びたのです。

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【まとめ】

今回は琉球王国を3つの時期に分け、その歴史を確認しました。

 

意外にも、琉球王国が海上交易で栄えたのは、100年と少しの短い間だったのですね。

 

歴史の面白い点は、一般常識として知られていたことが、実はそうではなかったと気づけることにあります。

 

皆が言うことを疑ってみるという視点を養える分野なので、旅行に行く度にその土地の歴史について調べてみても良いかもしれません。

 

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また、記事のこの部分が面白かった、ここが意外だったなどのご感想があれば、お気軽にコメントください。

 

皆さんからのコメントをもとに、より旅行が楽しくなるような記事を執筆して参ります。

 

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